私は、一昨年完成した「土間のある家」で、両親・妻・子供と同居生活をしています。
SAN’AIのテーマ「代々暮らす」を実践したわけですが、代々暮らす家づくりについて考えていきます。
「代々暮らす」ということは、決して「同居」とはイコールではありません。
代々暮らす家づくりの真の意味は、「家系を守る」事にあると思っています。
家系を守るとは?土地や建物お墓・・・もっと広く言えば、その地の文化、伝統、景観・・・・それらを築いていくのは他でもない自分たちなんだということです。
世界的に見ても、決して貧しくなく、むしろ裕福な日本。
でも、日本人の暮らしは裕福を裕福と感じていない人が多すぎます。その原因は何か?
大きな理由の一つに「住宅ローン」があります。
親世代で家を建て、子世帯で別棟を建て、孫世代でさらに家を建て・・・・・俗に言う核家族です。
核家族という暮らしは、高度成長期に国が戦略的に仕掛けた政策なのです。それは、住宅需要、ローン需要によるいわゆる「バブル」です。振り返ると、バブル期では金利が6%、7%なんて当たり前でした。
バブル期には誰でもローンが組め、国民全体が中流階級意識で、消費をすることが良いことのような時代でした。しかし、バブルははじけるのです。
バブル期の住宅ローン返済で苦しんでいる方も多いはず。
一体我々は、なんの為に働き、暮らしていくのか?
親世帯も、子世帯も、そのまた子世帯も・・いつまでたってもローンで苦しめられます。
なぜ、生涯を捧げるほどの家づくりを、安易に考えてしまうのか?
同じ苦しみを何世代繰り返しく結果、残るのは住宅ローンと親の家と土地と墓です。
住宅ローンで手いっぱいのところに、親の家の維持管理、田畑の継承、あれやこれや・・・。
代々暮らすということは、家系として財産をどのように継承していくか?その中で「家づくり」が、どうあるべきかを考えていく事だと思います。
ですから、代々暮らすイコール同居という考えは胆略的すぎます。離れを建てる事も一概に悪いとは思いません。ただ、「代々暮らす」というコンセプトが明確ならば・・です。
永く同じ地に暮らすことは、地域を無視しては暮らせません。そこを核家族世代の方は良く勘違いされます。
地域には、伝統や文化、土地独特の景色や食べ物があります。それらを含めて、その地に暮らすのです。
私は、安曇野で生まれ、安曇野で育ちました。今も安曇野で暮らせることを幸せに思います。
安曇野で代々暮らすために私は家を改修しました。同居するための家です。
その取り組みを通して考えた「代々暮らすこと」については、またの機会で書きたいと思います。
想いのまま書き綴った文ですが、何か感じてもらえればと思います。