緊急事態宣言が一部地域で解除されましたが、以前、自粛生活が続いています。
そんな中、今年のゴールデンウィークはどの様に過ごされましたか?
私は、毎日3密を避けながら、娘と近くの公園にいき、息子とサッカーの練習をする毎日でした。
ゴールデンウィークの自粛生活の中で感じた事を自分なりに書きたいと思います。
私の住む安曇野は、テレビ等で報道されている東京などの都心とは違い、自宅を出てすぐ人と接触する環境にはありません。
どちらかと言うと、40分ほどランニングして来ても、すれ違う人は数えるほどの環境です。
しかしながら、自粛生活。お出かけは最低限に抑え、3密を避ける生活。
生活の一部としてサッカーをやってきた私にとって、週末にサッカーの予定が全くない状況。
サッカーのスケジュールで週末の予定が決まるほど、サッカーは欠かせない物でした。
純粋に時間的余裕が出来て、純粋に「家族」を感じる暮らし。
そして、自分の暮らす「家」の認識。
家は、テレビを見て食事をして寝るだけの箱ではない。自分の暮らしを体現する空間。つまりアイデンティティー。
それを強く感じるゴールデンウィークでした。

ちょっと昔の「土間のある家」の一コマです。
私は「豊かな暮らし」をコミュニティーと捉えました。コミュニティーの中心に「土間」を落とし込み、家族間や地域との繋がりを大切にしながらプライバシー空間との距離感を大切に設計を考えました。この「土間」があることで、我家では程よい距離間を保ちながら3世帯での暮らしが成立しています。それぞれ個別の部屋に閉じこもるでもなく、また、強制的に同部屋に閉じ込められるわけでもなく、「土間」というあいまいな空間により我家に合った暮らし方が成立ちます。そんな暮らし方の中で、家で過ごす時間が増えると、「豊かさ」をより感じ、家族とのつながりを実感する事が出来ました。
「暮らしの豊かさ」は、家族それぞれであって、型にはまるものではありません。

4月に外構工事をさせていただいた現場。(いずれ写真をアップします!)
ゴールデンウィーク中に、家族総出で板塀の塗装と取り付け工事、人工芝の敷設をセルフビルドで行いました。
人工芝が完成すると、早速高校生のサッカー選手は裸足でボールを蹴り始め、私の娘は裸足で走り始めました。
こんな瞬間に豊かな暮らしを感じます。
先日、設計仲間と話をしていた所、この新型コロナ騒動の中で「設計の仕事は本当に必要とされているのだろうか?我々は何のために仕事をしてるのだろう?」という話が出ました。住宅でも、量産型の規格住宅もあればデザインやこだわりの家づくりもある。我々のこだわりやデザインが嗜好品であって、このような経済疲弊した時には必要とされないと考えていました。しかし、どんなにお得なコストで家を手に入れようとも、逆に、あらゆる高価な部材をふんだんに盛り込んだだけの家でも、暮らしの豊かさはそこにはないのかもしれません。暮らしをどうとらえて、どう設計していくか。
自粛生活の中で、間違いなく「価値観」の変化が起こると思います。
家は建てる事が目的ではなくて、「豊かな暮らしをおくるため」でなくてはいけない。
自分が今後も家づくりに携わっていく中で、最も大切にしたい事です。